救助
今日、ふと「生命の救済」と「地球の未来」について深く考えさせられることがあった… 畜産業界から豚や牛を買い取り、サンクチュアリで保護してのびのびと暮らさせる活動をしている人たちがいる。目の前の命を救う姿勢やその優しさは理解できるし、尊いことだとは思う。だけど、どうしてもどこかで引っかかるものがある。 毎日、世界中では想像も絶する数の命が消費され、屠殺されている。そんな中で1頭の豚を救い出し、広々とした場所で暮らす姿を見て「良かった、救えた」と感動し、達成感に満たされる……それって、冷徹な目で見ればただの「人間のエゴ」や「自己満足」なんじゃないだろうか。 膨大な犠牲という暗闇には目をつむり、自分の手が届いた小さな「光」だけを見て満足している。しかも、そのサンクチュアリを維持するためにはお金がかかり、寄付を募り、資材や医療品を使う。だが、その資金や物資を生み出しているのは、他ならぬ地球環境に負荷をかけ、破壊を続けている人間社会の経済システムそのものだ。 医学で言えば、これはただの応急処置(対症療法)に過ぎない。 もし自分が一生という限られた時間やエネルギーを使うなら、1頭を救って感動する「自己満足のセラピー」に時間を費やすのではなく、地球規模の環境破壊や気候変動、生態系の崩壊そのものを止めるために「声を上げ、戦う時間」に注ぎ込むべきではないか。 土台である地球という船が沈みかけているのに、特定の部屋の水だけをバケツで汲み出して達成感に浸っている場合じゃない。全体を守らなければ、結局すべての命も生物多様性も潰えてしまうのだから。 「1頭の命への共感」という人間的な情緒に流されるのか、それとも「地球全体のシステム」という俯瞰した視点で本質的な行動をとるのか。全体像を見失わずに生きていきたいと、改めて強く感じた一日だった。