依存のサイクル
人間というあまりにも肥大化したノイズが この地球の表面から完全に消え去ったなら、 どれほど完璧な「自然の循環(エコシステム)」が戻ってくるだろう。 野に生きるものたちは、ただ地球の呼吸に身を委ね、 遺伝子に刻まれた野生のシステムに従って生まれ、 過剰な苦痛に抗うこともなく、その命を大自然の土へと還していく。 そこには生と死の美しい境界線があり、完璧な調和があった。 それなのに私たちは、「かわいそう」というあまりにも主観的な感情だけで、 自然の摂理が定めた終わりの時間を力ずくで書き換えようとする。 バイオロジーの限界を迎え、静かに閉じようとしている命を、 無機質な動物病院のライトの下へと連れ込み、高度な延命医療を施す。 「一秒でも長く一緒にいたい」と涙を流すその姿は、一見すれば慈愛に満ちている。 しかしその本質は、ただ自分が「喪失の恐怖」から逃れたいだけの自己満足。 人間の都合でペットという存在を作り出し、今度は人間の都合でその寿命を人工的に引き延ばす。 それは動物のためではなく、私たちの底なしの寂しさを埋めるためのエゴだ。 その歪んだ優しさを維持するために、裏でどれほどの資源が消費されているか。 使い捨てられるプラスチックの医療ゴミ、大量に消費される医薬品、 病院を稼働させ、薬を製造するために排出される二酸化炭素―― 自らの「善人でありたい」という倫理的優越感の陰で、 地球にかける絶大な環境負荷(エコロジカル・フットプリント)には、誰もが都合よく目を瞑る。 一つの命を不自然に繋ぎ止めるために、地球全体のキャパシティを削り取っている矛盾。 私たちは優しさという免罪符を掲げながら、結局は自らのエゴでこの星を汚し続けている。 人間という主観的なノイズがすべて消え去ったとき、 この惑星(ほし)には、人間がもたらした一切のプラスチックも、エゴの涙も消え失せ、 ただエントロピーの法則に従った、静謐で、真に美しい平和が訪れることだろう。