歪み
今日、改めてこの世界の歪みについて深く考えさせられた。ファストフードの添加物や安全基準の話から始まり、最後に行き着いたのは「すべては人間の都合で動いている」という冷酷な現実だった。国が定めた食品の安全基準も、海に流される汚染水の基準も、決して自然や他の生命を守るためのものではない。人間が経済を回し、便利な暮らしを維持するために「これくらいなら許容してもいいだろう」と勝手に線引きした、身勝手な妥協点にすぎない。それを「科学的に安全だから大丈夫」と言い切ってしまう社会の空気に、強い違和感と嫌悪感を覚える。私たちは、自分たちにとって不必要な生き物は「害獣」や「害虫」と呼んで簡単に駆除する。その一方で、人間が好む都合の良いものや、社会が「正しい」とする価値観は、幼い頃からテレビやインターネット、そして親を通じて頭に刷り込まれていく。そうして「これは安全なものだ」「これが正しい社会だ」と無批判に覚えさせられ、誰もが疑問を持たないようにコントロールされているのだ。地球環境の破壊も、気候変動も、生物多様性の崩壊も、原因はすべてそうした人間の欲望と無関心にある。自分たちの都合で森を切り拓いて住処を奪い、絶滅しかければ「保護」の名のもとに人工的に数を増やし、増えすぎたらまた殺す。この生殺与奪の権を握ったかのような人間の振る舞いは、あまりにも傲慢で矛盾に満ちている。人間は自然をコントロールできると思い込んでいるけれど、その結果が今のぐちゃぐちゃになった地球だ。誰かが作った都合のいい基準や、周囲から植え付けられた「安全」をただ鵜呑みにするのではなく、「そもそも誰のための基準なのか」を疑い、この傲慢な構造に目を向け続けることが、人間として最低限必要な姿勢なのだと思う。