それが答え
なぜ人は「環境問題」という言葉を嫌うのだろうか。
おそらく誰もが、言葉の奥底で「自分たちが加害者である」という事実を察しているからだ。加害性を認めれば、自らの生活様式やこれまでの存在理由そのものを否定せざるを得なくなる。だからこそ人々は無関心を装い、綺麗事で自己弁護をし、不都合な真実から都合よく目を背ける。
人間が関わることのすべては、結局のところ破壊にしかつながらない。
自然を奪い、他者を搾取し、自らの欲望のためにシステムを作り上げては崩壊させる。どれほど文化や倫理を装おうとも、その根底にあるのは生の肥大化と他者の否定だ。自らの加害性にすら無自覚なまま消費を続ける姿こそ、この種の決定的な愚かさを示している。
そしてまた、私の周りから人がいなくなっていく。
だが、そこに対して寂しさも嫌悪感もない。むしろ、そうやって都合が悪くなれば離れ、都合がよければ群がる姿にこそ「人間」という存在の滑稽な本質が詰まっている気がして、どこかうれしくすらあるのだ。
人間が人間らしく愚かであり、その本性を隠しきれずに私から離れていく。偽りの繋がりや上辺の共感が削ぎ落とされ、ただ一人で冷めた静けさの中に身を置くこと。その冷徹な納得感の中にいる瞬間こそ、私にとっては最も腑に落ちる時間なのだ。
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