人類の事はどうでもいい
ニュース画面に映し出された欧州の河川の姿が、頭から離れない。
ライン川やロワール川といった、絵画や歴史の本で何度も目にしてきた大河が干上がり、底の泥や干上がった川床が無残に露わになっている。宇宙から撮影した衛星写真で見ると、かつて青く豊かな筋を描いていた川筋が、まるでひび割れた大地のように細く掠れていた。
「猛暑と雨不足」。一見すると自然の気まぐれのように思える言葉だが、その根本にあるのは紛れもなく、私たち人類が積み重ねてきた環境負荷だ。
文明を築き、生活を便利にし、地球のどこへでもモノを運べるシステムを作り上げた。しかし、その豊かな暮らしを維持するために燃やし続けてきた化石燃料や、過剰な資源開発が、地球全体の気候システムを根底から揺さぶっている。アルプスの雪氷が減り、大気が停滞し、河川に水が戻らなくなる——私たちが「成長」の代償として排出し続けてきた温室効果ガスが、巡り巡って地球全体の循環を止めようとしているのだ。
恐ろしいのは、これが単なる「遠くの国の自然の悲鳴」では終わらない点だ。
川の水位が下がれば、物資を運ぶ船が動かせなくなる。発電所の冷却水が足りなくなり、エネルギーが不足する。農業用水が途絶え、食料の価格が跳ね上がる。人間が便利さを求めて地球に負荷をかけ、その結果として地球のシステムが壊れ、巡り巡って自分たちの社会インフラや生活そのものを締め上げていく。完璧なまでの自縄自縛だ。
日常の中で蛇口をひねれば当たり前に出てくる水や、スイッチを入れれば点く電気。そのひとつひとつの背景に、地球という巨大なシステムの恩恵があることを、私たちは普段どれだけ意識できているだろうか。
「環境問題」という言葉はどこか他人事に聞こえがちだが、今日見たあの干上がった川の姿は、人類が地球にかけてきた負荷の「請求書」が本格的に届き始めたことを物語っている気がする。個人にできることの小ささに途方に暮れつつも、まずは自分の足元にある消費やエネルギーの使い方を一歩ずつ見直さなければ、と強く思った一日だった。
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