fuck花火大会

 夏の夜空を焦がして咲き誇る、あの絢爛豪華な大輪の花。

数秒の視覚的快楽を買い取るために、私たちはどれほどの生態系サービスを犠牲にし、押し黙る自然の上にその美しさを築いているのだろうか。

闇夜を切り裂く高強度の閃光と、地表を揺るがす低周波の轟音。

その華やかなスペクタクルが消え去ったあと、地上にはストロンチウムやバリウム、過塩素酸塩といった有害な発色剤・酸化剤の微粒子が沈着し、土壌を濁し、水質を深刻に汚染していく。

大気中に充満する高濃度のPM2.5やガス状物質は、人間の呼吸器系を脅かすだけでなく、地球の自浄作用を圧倒し、大気化学的な負荷を増大させる。

人間以外の生物圏(バイオスフィア)にとっても、それは祝祭などではなく、突発的な攪乱イベントでしかない。

光と音のパニックに曝された鳥類は、地磁気や視覚の錯乱から群れの方向感覚を失い、建造物への衝突(バードストライク)によって命を落とす。また、水辺に落下した未燃焼の玉皮やポリマー資材は、海洋プラスチック汚染やマイクロプラスチックとなって食物連鎖(トロフィック・カスケード)に取り込まれ、野生生物の生息地(ハビタット)を内側から蝕んでいく。

生物多様性の喪失を加速させながら、私たちは「伝統文化の継承だ」「地域の活性化だ」と、己の感傷だけを無邪気に正当化している。

そして祭りが終わったあとの会場に残るのは、ポイ捨てされたレジャーシートやポリプロピレン製の容器が織りなす膨大な廃棄物の山。

自分たちの刹那の退屈を紛らわせるためだけに一次利用のプラスチックを大量に消費し、環境容量(キャリーイング・キャパシティ)を無視して放置する。

自然資本の搾取と環境破壊の上に成り立つそのシステムは、人新世における人類の底知れぬ傲慢の表れに他ならない。

季節が巡り、暑さが戻るたび、私たちは同じ環境負荷の連鎖を何食わぬ顔で繰り返す。

夜空を美しく彩るその光は、高度経済成長期以来の大量消費社会が地球の生態系に向けて放つ、終わりなきサステナビリティ(持続可能性)への暴力の証明なのだ。

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