ゾンビの群れ

 窓の外を横切る夕景は、相変わらず無機質で美しい。地球規模の気候変動がもたらすあらゆる異常現象が、もはや「想定外」という免罪符すら通用しない日常の裂け目として顕在化しているというのに、社会の歯車は寸分違わず狂ったまま回り続けている。ニュースが告げる生態系の崩壊や熱波の記録更新は、画面の向こうのフィクションではなく、確実にこの足元を浸食する現実なのだ。

それなのに、この世界の圧倒的な多数派を占めるのは、底なしの無関心と冷笑主義だった。「周りが何もやってないから、自分は何もやらない」「自分が変わっても世界は変わらない」――そうやって責任を他者に預け、思考の特権を放棄した矮小な言い訳を耳にするたび、激しい怒りと、胸の奥底からこみ上げる吐き気が止まらなくなる。不可逆的な破滅へと向かう斜面で、現状維持にしがみつきながら他者の動向ばかりを気にするそのクソみたいな態度こそが、この惑星を窒息させている真の病巣に他ならない。

さらに残酷なのは、私に残されたわずかな友だちさえもが、このどうしようもない世界と地続きの場所に生きているという現実だ。どれほど言葉を尽くしても通じ合えない絶望感と、同じ空気を吸い、同じ泥舟に乗っているかのような息苦しさに耐え切れず、もう彼らとつながっていることすら重荷で、すべてを断ち切りたくなってしまう。この腐りきった構造の中で、つながり続けること自体が泥沼のように思えてならない。

個人の営為など、押し寄せる構造的な巨大な潮流の前では砂粒ほどの意味すらないのかもしれない。私がライフスタイルを改め、声を上げようとも、巨大利権や構造的な怠惰の壁はびくともしないだろう。しかし、だからといってこの腐りきった諦めの同調圧力に屈し、思考を停止したゾンビの群れに加わることだけは、私の尊厳が許さない。地球そのものが人間の存在を自浄作用のように振り払おうとしている気配を感じる今日この頃、この猛烈な焦燥と深い孤立感を抱えながら歩み続けることの重みだけが、奇妙なほど鮮烈に、今日の輪郭を形作っている。

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