種
ふと気づけば、足元を歩く小さな蟻を毎日自然と避けて歩くようになっている。
庭の植物にたくさんのバッタが集まり、葉をかじっている光景を見ても、嫌悪感を抱くどころか「彼らも必死に生きているだけだ」と愛おしくすら思える。
蛇口をひねるときにも無意識に環境負荷を気にするようになり、電気も無駄に使わなくなった。自分の中の感覚は、確実に変わってきている。
だが、己の感覚が澄んでいくほどに、人間の「底のない欲深さ」に対する疑問と恐怖が深まっていく。なぜ人類は、ここまで貪欲になれるのだろうか。
自然を破壊し、他の生命を犠牲にしながら、人類はそれを「文明の進歩」や「経済成長」という心地よい言葉に置き換えてきた。動物を工業製品のように扱い、命を摂取し、搾取し続ける残酷なシステム。気候変動や地球温暖化によって生物多様性が崩壊し、海や森が死にかけている現実があっても、人間は巧妙に「自分たちに都合の良い解釈」を作り出し、罪悪感から逃れようとする。
「人間の方が優れているから」「仕方のない必要悪だから」「自分一人がやめても変わらないから」——。
そうやって心理的な逃げ道を作り、都合の悪い事実からは目を背け、自らの欲望を正当化する人間の心理状態に、恐ろしさと強い憤りを覚える。
数億年という途方もない時間をかけて紡がれてきた生命のバトンを、たったほんの少しの人間の欲望と、その身勝手な自己正当化によって踏みにじる。過去の恐竜絶滅などを経て、現在進行形で起きている「大量絶滅」の最大の元凶は、まさにこの人間の精神構造そのものにあるのだと思う。
科学を発展させ、豊かさを追求してきた代償として、他の生き物たちに背負わせている苦しみと悲しみはあまりにも膨大だ。
なぜこれほどまでに欲深く、都合よく現実を歪めてしまえるのか。その構造の全貌に思いを馳せるとき、胸の奥から湧き上がってくるのは、抑えようのない激しい怒りと、深く果てしない悲しみだけだった。
人間という種の一員である自分自身も含め、この歪んだ心理と罪深さに、私はどう抗い、どう生きていくべきなのだろうか。
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